THE X-CHAPTERS / Xチャプター

米国から本の話題をお届け

New Kid by Jerry Craft (2)~黒人の肌の色は絵本や漫画で褐色にして問題無いのか?についてと、自己の偏見に対する猛省

 先日、『New Kid』というアメリカの中学生くらいの子向けのグラフィック・ノベル(マンガとは少し違う)についての感想をこのブログに載せました。
hyakunennokodoku.hatenablog.com
 素晴らしい作品なのですが、この記事の中で私は、本の表紙に対して「主人公の黒人少年の肌の色がやけに白く描かれている! 黒人以外の読者に手にとってもらうため? ちゃんとそれらしい色にしたほういいんじゃない?」というようないちゃもんをつけています。それに関して、ブログ〇〇〇〇(書いていいのかわからない・・・)の筆者さんから「少し前に、日本では大坂なおみ選手のアニメ画で彼女の肌の色をどう表現するかが微妙な問題として扱われたけど、黒人の肌を褐色に描くのはアメリカでは問題無いのか?」というコメントを頂きました。 その回答を書こうとして、自分の上記記事がいかに的外れで大問題なものであったのか気がついたので、この記事で猛省・謝罪をしたいと思います。

 まず、いただいた質問に関してですが、もちろん褐色の肌の描写をしてなんの問題もありません。それが普通だと思っていたので、ちょっとびっくりしてしまいました。
こんな感じで、別のグラフィック・ノベルでも・・・

f:id:AgentScully:20190625143908j:plain
Camp by Kayla Miller
小さい子向けの絵本でも・・・
f:id:AgentScully:20190625143745j:plain
Last Stop on Market Street by de la Peña, Matt and Christian Robinson
作者が、「この人物の肌のトーンはこうする」と決めたら、その通りに肌の色を濃くしたり薄くしたり好きに塗っています。
肌の色は、体形や髪型や服装と同じく、登場人物の書き分けに不可欠な要素で、その登場人物の重要な一部なので肌の色を濃い色に描くことには、なんら問題は無いのです。
 これが問題、というかセンシティブなトピックになってくるのは、「実在の人物を描く場合」だと思います。そうです、大坂なおみ選手のケースのように。 その場合は、注意深くその人物の肌のトーンを再現しないと、場合によっては「侮辱」「本来の容姿の否定」ととられる場合もあります。実際の色よりも明るくても暗くても、なんとなくひっかかる人は多いのではないでしょうか。つい最近のBBCの風刺番組で、メーガン・マークルさんを模した人形が登場してひどい内容のコントみたいなのをやったみたいなのですが、内容への批判に加えて「実際より肌が黒くされている!」という批判があったのが興味深かったです。 でも、自分に置き換えてよく考えると、差別うんぬんではなく、肌の色以外でも、実際と著しく異なるように描かれたら、「いやいや、それは美化し過ぎ」とか「実物はそのまま描けないくらいみっともないってこと?」とか「そんなに醜くないでしょ!」とか、違和感感じるのは当然ですよね。 肌のトーンに関しては、そういった違和感だけじゃなくて、差別意識とか、はたまた差別を想定した忖度かとか、色々な感情も入るので特に注意が必要になってくるのだと思います。
 
 そして、上記のようなことを知ったふうに書いている私ですが、問題の自分の書いた記事に関してはひどいことを書いたと猛省しています。本当に穴があったら入りたい。記事も消してしまいたいのですが、なんとなく卑怯な感じがするので、このまま自戒の意味を込めて恥をさらしておこうと思います。 
 何がまずかったかというと、コメントをいただいて本をもう一度ぱらぱらとめくってみたら重大なことに気がついたのです。主人公の少年は表紙だけじゃなくて本編の中でも薄い肌の色で描かれているのです。 つまり、「表紙で少年の肌が白いのは、読者層を広げるため?」という私の文句はまったくの間違いで、作者はわざと主人公をこのような「社会的には黒人だけど、黒人にしては肌の色が明るい少年」としてキャラクタ設定していたに過ぎないのです。 作中でそのような設定で物語を描いているわけですから表紙も同じにしただけで、そこにはなんの策略も無いと思われます。
f:id:AgentScully:20190625144441j:plain
New Kid By Jerry Craft - Cover
 そうなのです、私は、この作品の重要なメッセージのひとつ、「黒人だっていろいろなんだ!ステレオタイプをあてはめて判断しないでくれ!」を全くくみ取らず、「黒人少年なんだから肌の色は濃くないと!」と思いっきりステレオタイプをぶつけて批判を書いてしまったのです。ひどすぎます。例えて言うと、色白の日本人美少女が描かれた表紙の本に「主人公は日本人だよね? 肌はもっと黄色っぽくすべきじゃない?」と言っているようなものです。
 『黒人』とされている方々の肌のトーンが日本人の「地黒」「色白」と比較にならないくらい様々なのは、アメリカに暮らしていて体感しているはずなのに、なぜ作品を正しく読めなかったのか。これは、英語力の問題というより、やはり『黒人』→『肌の色が濃い人たち』という自分の中の固定概念と偏見なのだと思います。

 アメリカには、「One Drop Rule」というどうにも私には納得のいかない言葉があります。両親が黒人と白人だとすると、彼らの子供は「黒人と白人のハーフ」ではなく「黒人」、というやつです。一滴でも黒人の血が入っていたら「黒人」。だから「黒人」とされている方の中には、白人の親の形質を大きく引き継いだ「肌が明るいトーンの人」だっているわけです。そういう人から両親共に黒人ですごく濃い色の肌の人まで、全部乱暴に「黒人」にされているわけです。
 映画化もされた「Wonder」(日本語題「ワンダー」、R.J.パラシオ作)という大ヒット小説の中で、こんなシーンがありました。 主人公の少年オーギーが「名前の通り一年中夏みたいに日焼けしている」と形容する友人の少女サマーの家に遊びに行った時のこと。部屋には、サマーの亡くなったお父さんの写真が飾ってある。そして、その男性は・・・黒人!? 
オーギー「き、君って・・・」 
サマー「Biracialかって? そうだよ」
 日焼けしてる白人だと思ってたらBiracial(ハーフのこと)だった!!とオーギー君がびっくりする場面です。One Drop Ruleで行くと、このサマーだって黒人なのです。日焼けしてる白人くらいの肌のトーンなのに。 アメリカ人の認識だってこんなもんなんです。 誰が黒人で、どれくらい肌が濃ければ黒人か、とか本当にくだらない。 なぜ『New Kid』を読んだ時、そんなくだらないことがひっかかったのか。自分でも自分がわかりません。軽率だったとしか言いようがありません。

 作者の少年時代がどれだけ主人公に投影されているのかわかりませんが、『New Kid』の主人公は「体が小さく、スポーツが苦手で、肌の色もそれほど濃くない」という設定にされています。上記のサマーちゃんと違って、彼はおじいちゃんも両親も黒人。でもなぜか彼の肌のトーンは彼らより明るい。そのことがコンプレックスで、嫌な思いをしているという小さなエピソードがよく読むと作中に出てきました。
 黒人ばかりの学校から、お金持ちの白人が通うニューヨークの私立校に転校してきた主人公。冬休み明けの学校では、冬のニューヨークを離れて暖かい海外リゾートで休暇を満喫してきた生徒たちが日焼けを見せびらかしている。こんがりと日に焼けた肌は、お金持ちのステイタスなのです。「あたしこんなに日焼けしちゃった。(黒人の)あんたより黒くなっちゃったよ」。前の学校では、黒人の友達に「こいつを見ろよ!うちの焼く前の全粒粉パンより白いぜ」とからかわれて嫌だったのに、この学校でも肌の色でいじられるなんて。ため息をつく彼に、別の黒人生徒が「元気出せよ、ランチおごるぜ」と声をかける。

f:id:AgentScully:20190625143449j:plain
New Kid By Jerry Craft
 黒人というには中途半端な色だしもちろん白人でもないし・・・というなんとも居場所を見つけるのが難しい感じのルックス、これはもしかしたら、この作品に出てくるいろんな「黒人少年あるある」のひとつなのかなと思いました。 そこをもっと読み取っていればよかった。
 
 本の感想のブログを始めてから、楽しいなと思っていたけれど、既に自分の無責任で軽はずみな投稿にかなり落ち込んでやめてしまいたい気持ちです。読んでいる人なんてほとんどいないとは言え、無責任な言葉を書き散らして本当に後悔しています。 この本を世に出して下さった作者さんに一番申し訳無い。 Jerry Craftさん、調子に乗ったこと書いてごめんなさい。 いろんなことを考えさせてくれる本を、ありがとうございました。