THE X-CHAPTERS / Xチャプター

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中学生のいじめは、もうしょうがないの?『沈黙の町で』(奥田英朗)

 もうニュースでさかんに取り上げられることは無くなったけれど、中学校の教員が同僚教員をいじめていたあの事件は、2019年にむかつくニュースベスト10にランキング確実という勢いでみなさんを怒らせ呆れさせてましたね。私も、「一体どういう教員がどういう精神状態でそんな幼稚なことができるのか」と唖然としつつ怒りを覚えた一人ですが・・・。
 そのニュースが盛り上がっていた頃、そういえば奥田英朗がいじめをテーマにした小説書いていたっけ、と軽い気持ちで読んでみました。
ISBN:978-4022648051:detail
 さすが奥田先生、明るさゼロの小説でありながら、すいすいと一気読みできます。しかし、読みつつ私はかなりバツの悪い思いを感じ、自分を恥じて縮こまりたくなりました。自分にはいじめをやるヤツらを糾弾する権利は無い。私もあいつらとそう変わらないんじゃないかと、私もやってしまうんじゃないかと、怖くなりました。
 小説は、ある地方都市の中二の男子中学生である名倉君が校内で転落死しているのが発見されるところから始まります。徐々に彼の死の真相が明らかになっていくのですが、この名倉君のキャラクター造形がなんとも言えず絶妙です。あーあ、これじゃいじめられちゃうよ、いじめられてもしょうがないよ、と全く思わない読者はいるんでしょうか? 私は、思いっきりそう思いました。つまり、私はいじめを肯定したということだと思います。その場にいたらいじめに加わっていただろう、ということです。そういう自分の醜さ、弱さを目の前に突きつけてくるような、いやーな小説でした。
 「子供:まあまだ馬鹿で残酷だからいじめはやるでしょ。
 親:自分の子供さえよければそれでいいんでしょ?
 先生:いたの?
 警察:そんな一元的な問題にしようとしたって無駄だって」
まとめると、上記のような作者の諦念が溢れるストーリーになっています。読みようによっては、よく非難される「いじめられる方にも原因がある」という主張にもとれる、なかなかの問題作です。
 大人しかも教員からして同僚をいじめてるんだから、中学生の子供だったらいじめるに決まっている。いじめられる要素のあるちょっと変わった子も必ずいつだって存在する。「いじめをなくすことはできない」、その現実を踏まえた上で、「生き延びろ」というのが作者からのメッセージかと思いました。
 以下は、名倉君の通っていた中学校の教員飯島と彼の昔の同級生である警察官・豊川の会話です。

「豊川、おまえ小学生のとき、田圃でカエルを見つけたらどうしてた?」
(中略)
「殺した。空に向けって投げてアスファルトに叩きつけたり、尻にストローを突っ込んで風船にして破裂させたり、火あぶりにしたり」
豊川は答えながら顔をしかめた。思い起こせば実にひどいことをした。
「子供にはそういう残虐性が誰しもあって、長じるにつれ、徐々に消えて行くものじゃないか。中学生にはその性質が残っているんだよな。ひどいいじめは中学生が一番だ。高校生になると手加減するし、同情心も湧く」
(『沈黙の町で』543-544ページより)

 そして、この教員は「中学生のいじめはもう防ぎようがないのかもしれない」とこぼし、「中学生の三年間は、人生で一番のサバイバル期」と結論付けるのです。
 私は、新任教員がノイローゼになってやめていくと評判で学級崩壊は当たり前という荒れた中学校に通っていたのですが、その当時の中三の担任の言葉を思い出しました。 「あんたの姉さんをレイプした」という手紙とどこかの無修正の雑誌から切り抜いた見るに耐えないわいせつな写真を送りつける、という嫌がらせをされた時のことです。 その当時二十代だった女の先生が私の家を訪れ、「高校に行けばすべてが変わるから。〇〇さん(私のこと)と同じレベルと友達と楽しく過ごせるから、どうか今は耐えて」とつらそうにおっしゃりました。結局嫌がらせしたヤツを積極的に探すでもなく、それで終わりでした。 先生にもどうしようもできないんだな、そんなもんなんだなあ、と子供心に先生に対して同情心が湧いたのを覚えています。私はこの悲惨な場所から出て行ける、でもこの先生たちはそこで耐えなくちゃいけないのだ、と。 
 アメリカでも、いじめ(Bullying)が発覚したら停学とか厳しい処分を設定し実施しているけれど、SNSいじめで自ら命を絶つ学生が絶えないし、やっぱりどこでもいじめはなくならないものなのだと思います。 でも、アメリカはホームスクールの子が実に多いんですよね。「学校に行かない」「学校に通っていない」ということが、将来的にハンデにならないところは逃げ道があっていいなと思います。 だいたい誰も彼も学校に行かせりゃいいっていうのが、よく考えると乱暴だと思います。学校で学ぶことが向いている子、向いていない子、いろいろみんな違うはず。いろんな子がいていい。学校で学ぶ権利と同じくらい、学校に行かない権利を尊重するのも大切なのではないかと思うのです。日本も、もう少しそのへんが柔軟になるといいですよね。