THE X-CHAPTERS / Xチャプター

米国から本の話題をお届け

セラピストも人生に行きづまったらセラピーに行くのか?? プロの心理セラピスト兼作家によるセラピー業の舞台裏『Maybe You Should Talk to Someone』(by Lori Gottlieb)

 歯医者さんは、歯が痛くなったら他の歯医者さんに行くのか? 自分で治療するのか?
 美容師さんは、どこで自分の髪の毛を切るのか? 自分で切るのか?
 人生相談の回答者は、悩みを誰かに相談するのか? 自己解決するのか?
 セラピストさんたちは、セラピーを受けるのか? 自分で自分を心理分析できるものなのか? そもそも心の専門家だから行きづまりも感じないものなのか? 

 こんな疑問を持ったことがある方は、私だけではないはず。

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 「あなた、誰か専門家に相談したほういいんじゃない?」という意味合いのタイトルを持つ本書『Maybe You Should Talk To Someone』は、プロの心理療法士として診察業務を続けるかたわら、コラム執筆やAtlantic誌で人生相談コーナーも受け持つロリ・ゴットリーブさんによる回顧録です。

 2019年4月に刊行後、その年のノンフィクション分野のベストセラーの名をほしいままにしました。

 ざっと書くと、「オプラ・マガジンの2019年ベスト・ノンフィクション本」「Time誌の2019年必読本」「米公共ラジオ局の2019年フェイバリット・ブック」「米アマゾン2019年ベストブック10冊」「Audibleの2019年ナンバーワン」「Real Simple誌2019年ベスト本」「Variety誌2019年ベスト本」・・・・・・まだまだ続きますが、このへんにしときます。エヴァ・ロンゴリア主演でABCでテレビドラマ化もすぐ決定したようです。
 
 この本は何がそんなにすごいんだろう、と売れ行きを不思議に思っていましたが、読んで納得のユニークな内容でした。

 まず、著者の経歴が変わっている。私は予備知識が無かったので、著者のキャリアの開始点がまったく別の業界で、大きなキャリアチェンジを決断して今日に至ったというそこに「アメリカ」を感じました。でも、私の学生時代を思い返すと、日本でも医学部だけは確かにそれが許されていた感じはする。30歳くらいで医学部に入学して頑張っている女性が同じ寮にいたことを覚えています。ある年齢まで達してしまってからでも、きちんと試験やその後のトレーニング期間を経れば受け入れられる、社会的に成功できるのが医療業界なのかもしれません。他業種だとそういうケースは少し難しいし少ないように思います。
 選んだ職業に迷いを感じ、遅いスタートながらメディカル・スクール(医学部みたいなところ)に入って勉強した日々の部分がテンポ良く書かれていて、著者の新たな挑戦が読んでいて楽しかったです。 

 しかし、現実は厳しい。
 著者がメディカル・スクールを卒業した時点で既に34歳。別の業界を経ている分セラピストとしてのスタートも遅く、一番仕事を頑張らなくてはいけない時期と、「人生のパートナーを決めて子供を持つ」というリミットが重なってしまうのです。37歳にして二年間付き合った彼氏と破局、でも「子供の親になる」という夢が揺るがなかった著者は苦境に陥ります。

 Now, though, with forty looming, I was dying to have a baby, but not so much that I would just marry the next guy who came along. This left me in a tricky predicament—desperate, but picky.
 しかし、40歳が近づいてきた今、私はなんとしても赤ちゃんが欲しかった。でも次に現れた男と結婚してしまおうというという感じでもなかった。必死なくせにえり好みをしているという、なんとも微妙な状況にいたのだった。

 It was then that a friend suggested I could do things in reverse order: baby first, partner later. One night, she emailed me links for some sperm-donor sites.
 そんな時だった。ある友人が順番を逆にすることを勧めてきた。つまり、赤ちゃんが最初、パートナーはその後、という順番にするわけだ。ある夜、彼女が精子バンクのウェブサイトのリンクをメールで送ってくれた。

 
 精子バンク利用のエピソードは、この本の本題ではない割にはページが割かれています。貴重な体験例として前のめりになって読みました。アメリカでは結構利用者が多いんでしょうかね。かなりオープンに「理想の精子」をゲットするまでが書かれています。シュールでした。 本題ではないにしろ、この本って精子バンク利用をはじめ、代理母をやっている人がそのへんにごろごろいるように書かれている箇所があったり、私が「世間ではこんな感じだろう」と想像していた生殖医療の現状がもしかして著しく間違っているのではと思わされます。精子を売ったり代理母をやったりというのは、アメリカの高騰する学費の支払いに困る若者にとって、今や「若く健康の自分の肉体という貴重なリソースを人助けにも使えて、お金ももらえる」という立派な「仕事」なのかもしれません。

 著者がプロのセラピストになり、そしてお子さんを授かった経緯の後は、セラピストとして彼女が忘れられない数人の患者のことが、全員ほぼ同時並行して語られていきます。
  傍若無人キャラのTVドラマプロデューサー兼脚本家のジョン、30代でハネムーンから帰った直後に癌を宣告された末期患者のジュリー、70歳の誕生日に生きることをやめようと決意している孤独な60代のリタ、アルコールとだめんずへの依存から抜けられない20代のシャーロット、そして婚約者に捨てられてミッドライフ・クライシスに陥ってしまったロリ・・・そう著者自身です。 著者自身が、「Maybe you should talk to someone」と人に言われる精神状態に陥ってしまい、ウェンデルという男性セラピストに出会い、彼とのセッションを通して、自分自身の人生や自分の患者の葛藤や絆を振り返っていくわけです。自分がウェンデルにセラピーを受けた後に車に乗って自分のクリニックに戻り、自分の患者のセラピーをやるというこれまたシュールな生活が書かれています。

 どの登場人物も、他人同然だったセラピストと関係を築き、新しい人生へと旅立ってゆくわけですが、その過程は様々。一番胸が苦しくなるのは死を受け入れなくてはならないジュリーとのエピソードですが、読者が一番気になるのはジョンではないでしょうか。ネットでも、「ジョンは誰なのか?」が話題になっていたし、私もジョンがどのドラマのライターなのかものすごく知りたくて調べました。 アメリカ人ならだれでも聞いたことがあるヒットしたドラマで、エミー賞を複数回受賞しているライター。「どいつもこいつも全員バカだな!頭いいのは俺だけだぜ」と自分の周りの人間全員を「Idiots」とこきおろしてすっきりして帰っていく男。カードで診療費払うと奥さんにセラピーに通っていることがばれて嫌だからという理由で、著者に現金を手渡し、

“You’ll be like my mistress,” he’d suggested. “Or, actually, more like my hooker.”
「あんた、俺の愛人みたいだな。ていうか、売春婦のほうがあってるな」

などと言う男。しかし、このやなヤツにも驚くべき心に隠した過去があるのです。その「過去」は多分業界内では隠し切れない類のものだと思うので、ジョンが誰かは簡単に特定できてしまうと思うのですが、意外にもネットでも意見が割れていました。『ソプラノズ』か『カリフォルニケーション』じゃないか、と言われていたけれど、ここまでいろいろジョンに関する情報が書かれていて特定できないとは。 セラピストとして、特定できるようなことを書くのは大問題でもあるのですが。

 セラピストの厳しい守秘義務に関してはかなりのページが割かれているので、読者の多くは「こんな本を出したら、出てきた患者やセラピストが誰なのか簡単に特定できてしまう」という疑問は持ったようで、RedditのAMA(Ask Me Anything=なんでも聞いて)コーナーに著者が降臨した時にもその話題が出てきました。

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米巨大掲示板RedditのAMAコーナーより
 著者の回答は以下の通り。

I did several things to protect my patients.
(本人を特定されることから)患者を守るためにいくつかのことをしました。

First, I got permission. まず、(本人の)許可をとりました。


Second, I didn't write about anyone I was currently seeing, because I wanted that separation between the work in the room and the writing.
二番目に、現在診療が進行中の患者のことは書きませんでした。診療所での仕事と執筆を分けたかったからです。


And third, I meticulously changed identifying information. (Yes, they can recognize themselves, and I should mention that there's nothing I wrote in the book that we hadn't discussed face-to-face in our work together--no surprises.)
三番目に、細心の注意を払って身元につながる情報は変えました。(本人たちは自分だと分かるでしょう。そして、本に書かれていることは、患者たちと面と向かってセラピーの中で一緒に話合ったことだけだと言っておきますね。当たり前のことですが)

 そして、冒頭の疑問、「セラピストもセラピー受けるの?」に関しては、もちろん著書の中でその体験が詳しく綴られていますが、Redditでの回答も載せておきます。

It's very important for therapists to do their own therapy partly to understand in a deeper way what the process feels like, partly because we need self-care for the kind of work we're doing, and partly because we're human and like everyone, we benefit from understanding ourselves better so that we can serve our clients better, and also live better lives ourselves.
 セラピストがセラピーを受けるのは大事なことです。ひとつには治療のプロセスがどんな感じかをもっと深く理解するため。または私たちがやっているような類の仕事に関して、自分自身をケアする必要があるため。あるいは、私たちは皆ほかの人たちと同じ人間であり、クライアントたちにより良いサービスをし自分自身がより良い人生を送るため、自分自身をより良く理解することは有益だからという理由からです。


I don't know a therapist who hasn't been in therapy--and I wouldn't want to see one who hasn't.
セラピーを受けたことがないセラピストなんて一人も知りません。そして、そんなセラピストにはセラピーを受けたいとは思いません。

 専門的にならない程度に精神医学や心理学の理論なども紹介されていたり、ドラマも多く、読み応えのある一冊。非常に情報量が多い一冊ですが、構成が巧みなので最後まで読まされてしまった感じです。売れたので、日本語訳も出るのではないでしょうか。

「思い出したよ」、彼は話し始めた。「有名な漫画をね。ある囚人が外に出ようとして鉄格子を狂ったようにゆすっている。でも、彼の左右は空いていて、鉄格子は無いんだ。」彼はそのイメージが理解されるよう一息置いた。
「囚人は鉄格子をよけて歩けばいいだけなのに、彼はまだ鉄格子を狂ったようにゆすっている。それが我々のほとんどだ。私たちは感情の独房に完全に閉じ込められていると感じているけれど、脱出する方法はあるんだ。それを見つけようとする気持ちがある限りは。」
“I’m reminded,” he begins, “of a famous cartoon. It’s of a prisoner, shaking the bars, desperately trying to get out—but to his right and left, it’s open, no bars.” He pauses, allowing the image to sink in. “All the prisoner has to do is walk around. But still, he frantically shakes the bars. That’s most of us. We feel completely stuck, trapped in our emotional cells, but there’s a way out—as long as we’re willing to see it.”

 おまけに、著者によるTEDのプレゼン映像もつけておきます。
上記の「左右が開いている鉄格子」の話も出てきていますね。悩んでいる人間の精神状態を象徴的に表している良い例えなんでしょう。プレゼンは、なんかモチベーショナル・スピーカーみたいに人を鼓舞する内容ですが、少しやる気が出ますよ。著書と被ってる話もあるので、本の予告編かダイジェストみたいな感じです。
digitalcast.jp

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