英国の作家/脚本家デイヴィッド・ニコルズによる三作目の小説。本国では2009年刊行、その後アメリカなど外国でも大ヒットし、2011年にはアン・ハサウェイとジム・スタージェスが主演した映画版も公開。

- 作者:Nicholls, David
- 発売日: 2010/02/04
- メディア: ペーパーバック

- 作者:デイヴィッド ニコルズ,David Nicholls
- 発売日: 2012/05/05
- メディア: 文庫

- 作者:デイヴィッド ニコルズ,David Nicholls
- 発売日: 2012/05/05
- メディア: 文庫
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あまりにのめりこんで読んだので、どこから感想を書いていいのか難しい小説です。
人によって、好き嫌いが激しく分かれそうな小説。
まず主人公の二人エマとデクスターを好きになれるかどうか、そしてエンディングを好きになれるかどうか、その二点で好みが分かれる小説だと思います。
二人は同じ大学に通ったものの、卒業式の翌日の1988年7月15日にふとしたきっかけでやっとお互いをよく知り合った、というしょっぱなからタイミングが悪い組み合わせ。だって、次の日から二人とも別々の人生を歩むわけですから。この二人の交差し続けるその後の23歳~43歳までの20年間を、スナップ写真のように毎年7月15日のところだけ切り取ってアルバムのように一冊にした面白い形式の小説です。
この二人がねえ・・・もうなんというか・・・。
まず女の子ほう、エマですが、地味な文系女子タイプで、なんかいっぱい本読んで映画を観ていて政治にも詳しく、とにかく教養がある。頭の良さのせいか、しゃべってることがものすごくおもしろい。芸術家気質で、映画撮ったり、劇団入ったり、いつか本を出したいわ、とか思っているそんなキャラです。
典型的なドリーマーです・・・。どう生きていいのかわからなくて、ふらふらしています。
The city had defeated her, just like they said it would. Like some overcrowded party, no-one had noticed her arrival, and no-one would notice if she left.
(皆がそうなると言っていた通り、都会は彼女をうちのめした。誰も彼女が来たことにも帰ったことにも気付かない、人であふれたパーティーのように。)
男の主人公デクスターは、ルックスの良さと恵まれた家庭環境と運の良さ、調子の良さで世の中渡ってる頭空っぽのぼんぼんみたいなやつ。
「20年後、43歳になった時、どうなっていたいか」という会話の際も、「今の自分と変わらずにいたい」とかぬかす、自分が歳をとっていつか死ぬという自覚も無く、将来の展望も無く目標も無く、頭の中が永遠に19歳な男です。
20代半ばのデクスター君の職業観:
It seemed that as he ambled through his late teens his possibilities had slowly begun to narrow.
(10代の最後のほうをプラプラしたせいで、彼の可能性はゆっくりと狭まり始めているように思えた。)Certain cool-sounding jobs – heart surgeon, architect – were permanently closed to him now and journalism seemed about to go the same way.
(かっこよく聞こえる職業、心臓外科医とか建築家とか、そういう職業は今や永久に彼に門戸を閉じ、ジャーナリズムも同じようになりそうだった。)(Snip) At this stage in his life, his main criterion for choosing a career was that it should sound good in a bar, shouted into a girl’s ear, and there was no denying that ‘I’m a professional photographer’ was a fine sentence, almost up there with ‘I report from war zones’ or ‘actually, I make documentaries.’
(ー中略ー 人生のこの段階において、彼の職業選択の主な基準は、バーで女の子の耳に叫んだとき聞こえがいいかどうか、それであった。「プロのカメラマンなんだ」、これは間違いなく素晴らしい一文だし、「戦場から報道してるんだ」とか「ドキュメンタリーを作ってるんだよね」に匹敵する。)
「ちょっと写真撮るのが好き」程度なのに、こんな理由でカメラマンになろうかな~とかぼんやり思ったりしている。友達は80年代からコンピュータの改造で起業して成功しているけど、「コンピューターの改造やってるんだ」だとバーでうけないし・・・などと考えたり・・・もうなんというか・・・
つきあう女の子もとっかえひっかえ。この点ではエマもなんでなのか将来を真剣に考えられないような男性ばかりとくっついたりとか、似たようなもんです。
デクスターくーん、エマちゃーん、いくつでちゅかー??
えっ・・・もう20代後半・・・・・・!? アイタタタタタタタタ・・・
まるで大人になるのを拒んでいるかのようなこの痛々しいまでの幼さ、だらしなさ、愚かなオトナコドモっぷり・・・
こいつらは・・・はっきり言って・・・まるで・・・私です・・・。
小説の至る所に自分や自分の友人たち(「類は友を呼ぶ」で私の周囲はオトナコドモだらけでした)がいると感じ、泣いたり笑ったりいらいらしたり、心をまるごとつかまれるような貴重な読書体験でした。
しかし一方で、早くから人生の目的をきちんと持ち、キャリア設計し、まっすぐに生きているまともな人には1ミリも共感できないし、主人公二人も「バァーーーカ!」で終わってしまう内容かもしれないとも思いました。この二人がバカだから面白いドラマが出来上がっているんですけどね。
大学卒業時、まだ何も描かれていないまっさらなキャンバスみたいだった未来が、次第に魅力の無い絵となっていき、年齢を自覚せずにはいられない30代になり、そして中年になっていく、そんな時の流れが、世の中の流行とかテクノロジーの変化と共に巧みに綴られています。
大学卒業時、遠距離となった二人のコミュニケーション方法はなんと、女:「青いエアメール便箋にびっしり手紙を書くこと」、男:「旅先からのポストカード」!! 手紙と一緒に自作のコンピレーション・カセットテープ!!!を送ったりしている!!! 駅の公衆電話!!から相手の家の固定電話の留守電にメッセージ残したりとか。それが、最後のほうは携帯となり・・・。
なんか私はこの二人より後の世代で、どんぴしゃでかぶっているわけじゃないんだけど、「今はもう絶対に戻ってこない何か」がたくさん出てきて、なんだか涙が出そうになりました。
これは自分にとって大切な小説になるなあ、ずっと本棚に置いておく小説になるな、と思いながら読みました・・・・・・四分の三くらいまでは・・・。
エンディングがダメです・・・。好きになれません。
ああしなくちゃいけなかったのかな。
どういうエンディングだったら納得できるのか、自分でも必死で考えてみたんですけど、私の創造力の無さでは考えつきません。でも、あれは違うだろ、と思う。
それまでの「おかしいけど少し悲しい」、ペーソスともいうべきどこかユーモラスなトーンがガラッと変わり過ぎです。シリアス過ぎます。最初のトーンが好きだったのに。
この終わり方は、読者レビューでも評価が分かれているところでした。これがあるから美しい小説になっているという意見と、これはないだろという意見と・・・。
とはいえ、デイヴィッド・ニコルズがすごい作家だということは間違いないと思いました。同じく英国の作家で、ニック・ホーンビィという作家が私は大好きなのですが、ホーンビィと比較するレビューもちらほら見かけ、ちょっと納得。オトナコドモが主人公の小説と言ったらやっぱりホーンビィの真骨頂だし、会話のうまさ、そして何と言っても男性作家でありながら女性の視点で自然に書けるところがホーンビィを彷彿とさせます。女が書いているように感じられる小説でした。すごい観察眼です。巻末の謝辞で「何年にも渡って観察させてくれた家族や友人たちに感謝と謝罪を送る」みたいなことを書いてあったけど、すごいじろじろ周囲の人々を観察しているに違いない。こんな奴が近くにいたら、なんかイヤ! ホーンビィもこの小説に賛辞を寄せていますが、ホーンビィの後継者みたいな作家ですね。
デイヴィッド・ニコルズは、この『One Day』の前には2作連続でコメディを書いていたとのことなので、そっちのほうが面白そう。「ハッピーになれる文学は無いのか?」論争でも、ニコルズの最初のその2作をあげている人がいましたね。絶対読んでみたいです。
とにかく、映画版からはあまーいラブストーリーとかラブコメの匂いがしますが、原作のほうは時の流れの切なさ、自分でも気づかないうちにすべての運命が変わるような一日が誰にもあるかもしれないという不思議さ、孤独、そんなことを真面目に描いている小説なので、読んだことが無い方、とくに自分がオトナコドモだという自覚がある方は是非ご一読を! 読んで損なしです。
英語メモ:
spectacles 眼鏡。(イギリスでがglassesじゃなくてこっちの言い方するんですか?)
prude 堅物
watchword 合言葉