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2020年ベスト級のノンフィクション、6人の統合失調症者を生んだ大家族を通して統合失調症研究を追う『Hidden Valley Road』(by Robert Kolker)

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『Hidden Valley Road』表紙

 2020年4月刊行、オプラ・ウィンフリーのブッククラブの課題図書に選ばれて一気に話題になり、ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラーランキングNo.1、年末にはそのNYタイムズ紙はじめ、ウォールストリートジャーナル、タイム誌、ピープル誌、NPRなど数々のメディアの「2020年のベスト・ノンフィクション本」に選出された本。

Hidden Valley Road: Inside the Mind of an American Family

Hidden Valley Road: Inside the Mind of an American Family

  • 作者:Kolker, Robert
  • 発売日: 2020/04/07
  • メディア: ハードカバー
 著者のロバート・コルカ―は、未解決のロングアイランド連続殺人事件を扱った2013年刊行の『Lost Girls』がベストセラーになったノンフィクションライター。『Lost Girls』は2020年3月にネットフリックスで同名のドラマになったし、本書『Hidden Valley Road』のヒットと併せて、2020年は著者にとって嬉しい一年だったのではないでしょうか。

すさまじい14人家族

 ドン&ミミ・ガルヴィン夫婦に第一子ドナルドが生まれたのは1945年。その後、彼らは20年に渡って合計12子をもうける。この中に多胎児や連れ子はおらず、すべて母親ミミ・ガルヴィン(本の表紙画像で階段の上から二段目に立っている笑顔の女性)が妊娠と出産を立て続けに繰り返し成し遂げた結果。
 やはり、という感じではあるけれど、夫は敬虔なカソリック教徒で妻も同様。アメリカにはちらほらこういう大家族が今もいて、私の知り合いにも大家族がいるけれど、そこもものすごく敬虔なクリスチャン。それにしたって一人のお母さんが出産して家族を作る場合、大家族といってもせいぜい子供7~8人くらいしか聞かない。
 この12人という数字はすさまじく、この時代であっても周囲が心配し止めに入る数だった。しかし、夫妻は耳を貸さず家族を増やし続ける。もちろんそれは宗教的な理由からだけではなく、彼らなりの様々な理由があった。その心理は本の中でも分析されているけれど、そのひとつが「これだけ産んでもまだ女の子がいない」。そう、12人中10人までが全員男の子だったのです・・・。
 男の子だけ立て続けに10人生まれる時点で、何かこう遺伝的にアンバランスというか、この夫婦の遺伝子の組み合わせはなんかどこか特殊なんじゃないかとか、この母親は天皇家にお輿入れしたら大スターだったかもとか、なんと言っていいのかうまく言えないけれど、どうしてそうなった?という何かうすら寒い確率のいたずらのようなものを感じる。
 そして、11人目にして夫妻待望の初の女の子を授かり、女の子一人じゃかわいそうだからと更にもう一人作って、その子も女の子。母親が40歳の時だった。担当医に「また妊娠したとしても自分は次の子の出産は面倒を見ない」ときっぱり言われ、ついにその女の子が末っ子となって、夫妻が家族を増やすプロジェクト(?)は完了。
 思った通りに健康な子が次々と生まれ、育ち、待望の女の子も望み通りに二人も授かった。男の子10人が常に喧嘩を繰り広げる夫妻の家はまるで戦争のようではあったけど、幸せな大家族という理想を夫妻は実現した。うまく行き過ぎている。そう、うまく行き過ぎている・・・。

まるで伝染病のように子供たちを蝕む精神病

 末っ子のメアリーが生まれた時点で、長男のドナルドはすでに大学生。結婚を考えている女性もいた。すべて順調と思われた一家の生活は、このドナルドが25歳で精神疾患の症状を示し、実家に戻ったあたりから苦境に陥る。
 まだ幼い弟と妹たちは、兄が統合失調症の症状で奇行を繰り返す中で生活することを余儀なくされる。
 それだけでも大変なのに、まるで悪夢のように、次々と次男、そしてその下、そのまた弟も・・・。結局12人の子供のうち、6人が統合失調症かあるいはそれに類した精神疾患を患うことになる。
 本書は、12人の子供たちそれぞれが、この環境の中でどう育ったか、どのように葛藤し、どのような選択をしてその後を生きたかを、彼らが成人し老いていくまで追っている。まるでミステリ小説のように、「幸せな大家族」の中で人知れずに進行していた多くの秘密があったことも暴かれていく。
 アメリカで最も精神的に病んだ家族の、壮大で貴重な家族史なのである。
 

統合失調症研究の通史

 ガルヴィン家の家族史と併せて、統合失調症という謎だらけの疾患の研究の歴史も同時に追われている。その当時、統合失調症はどのようにとらえられていたか、どのように治療や研究が行われていたか、それがこの何十年もの間にどのように変わって行ったか。
 私には重い自閉症の子供がおり、自閉症研究の流れは素人ながらもおおざっぱに把握しているつもりだけど、統合失調症の研究史が自閉症とかぶっているところが多いことに驚いた。
 まず、この疾患がどこから来るのかわからないと治しようがないということで「生まれか育ちか」論争が起こる。そして、やはり「母親の育て方のせい」という一派が出てくる。自閉症の時も「冷蔵庫ママ」なる言葉で、冷淡な母親が自閉症児を作っているという説が一時期幅をきかせ、自閉症児を持つ母親を追い詰めた時代があったと聞いている。
 そして間もなくそれが否定され、「遺伝と環境の両方の影響がある」→「どの遺伝子、どんな環境が影響しているのか」という研究にシフトしてゆく。そこで貴重なサンプルとなるのが、この非常に特異な家族構成のガルヴィン一家。12人のきょうだいのちょうど半数に症状が発現しているというのは、遺伝子解析の側面からも脳の生理学的な研究の面からも希少な例であった。
 何が彼らを分けたのか、何が半数を病気にし、何がもう半数を病気にしなかったのか。彼らが提供した遺伝子のサンプルや、生理学的なデータ、刺激に対する反応のテスト結果などは、長く突破口が無い状態が続いている統合失調症の研究に貢献している。
 本で主に取り上げられているのは、ロバート・フリードマン博士によるコリン(Choline)という化学物質が脳内で統合失調症の進行に及ぼす影響の研究と、リン・デリーシ博士(L. E. DeLisi)による脳内タンパク質シャンク2の変異と精神病質の関連の発見。
 この二名の研究者の著書は、日本でも出版されている。

我々の内なる狂気 統合失調症は神経生物学的過程である

我々の内なる狂気 統合失調症は神経生物学的過程である

薬で治せるような「病気」ではない?

 一家の統合失調症研究への貢献は本書の中で小さな希望を感じさせる部分ではあるものの、それによる研究の進展は、統合失調症に苦しむ当事者やその家族にとって「画期的」とは言えるものではない。「これですべて解決」というような薬や対処法が見つかったわけではなく、研究の通史部分は正直言って読後もカタルシスは無かった。やはりすべての病気や障害にハッピーエンドがあるわけではないのだ、という無力感を感じる。
 そもそも統合失調症は「病気」なのか? 突き詰めるとそれすらよくわからない、自閉症でも最近よく言われる「脳多様性」のひとつの「様相」なのではないかという記述も見られた。我々の脳は、誰の脳でもスペクトラム(連続体)のどこかに位置していて、考えようによっては誰もがなんらかの精神疾患を持っているし、誰も持っていないとも言える・・・という考え方も登場し、統合失調症は病気というより「症状」の集まりに名前をつけただけで、定義すらできないそんな「病気」を治しようがないというのも、統合失調症研究が遅々として進まない理由のひとつなのかもしれないと思った。
 でもそうは言っても、統合失調者がこの世の中で暮らしていくのが本人も周囲もどれだけ大変かは本書を読めば誰もがよくわかるはず。一発で統合失調症が世の中から無くなるような夢の薬が無さそうなのはよくわかったけど、当事者と家族のQOLが少しでも改善することはなんなのか、何かできることは無いのか、人類全体で決して諦めずに探し続けてほしい。
 薬よりも、予防、早期発見、早期介入の重要性を訴える流れが出てきているのも、自閉症とよく似ているなと思った。

つらい過去をどう生きるか

 今も一家の何人もが健在、一家の身内も健在という状況で、非常にセンシティブな題材を誠実に取材した本書ではあるけれど、一点物足りなかったところを上げるとすれば、統合失調者当人と著者が直接対話した部分が少ない、ここです。
 一家の年代史のほとんどが母親のミミ、第11子のマーガレット、末っ子のメアリー(後にリンジーに改名)へのインタビューに拠っている。他のきょうだいへの取材も行われているのはわかるけれど、精神疾患を患っている当人の言葉のほとんどは、診療記録にあるものや医師によるインタビューの録音からとったもの、そして前述の女性三人の証言から構成されている。病んでしまった当人の言葉ももっと聞きたかった。どんなに突飛なものであっても。症状が重くて難しかったのかな。
 しかし、この本では、当人よりも「きょうだい児」の葛藤の歴史に重きを置いていて、こういう家庭で育つきょうだいたちが、過酷な生い立ちとどう向き合っていくのかが丁寧に書かれていて、そこは本当に圧倒的。あるものは完全に家族と距離を置き、ある者は積極的に関わることを選ぶ。トラウマの乗り越え方もそれぞれ違う。
 中でも末っ子メアリーの勇気に心を打たれる。彼女が経験した過去の虐待部分はあまりにもショッキングで、淡々と書かれているその箇所が信じられず二度見した。そういう本だったのかとしばし先を読む気も湧かなくなるほど。ちょっとここには書けない。読んだ人は「ああ、あの部分ね」とわかると思うけれど、統合失調症の当事者や家族にとっては、こんな大ベストセラーにあんな内容を入れてほしくなかったのではないかなと思った。「統合失調症が彼にそういうことをさせたわけではない」と著者ははっきり書いているとはいえ、多くの読者の中には統合失調症者への偏見を持つ人も出てくるのではないかと心配になる。
 それほどの虐待を経験しながらも、成人後に病気の兄たちを助けて生きていくことを決めたメアリーの言葉が重い。
「私は、統合失調症の兄たちに借りがある。私は、彼らと同じ親から生まれ、同じ家で育った。病気になったのは私かもしれなかった。私だったかもしれないのだから。」
 私が知らないだけで、市井の人々の中には彼女のような生き方をしている人もたくさんいるんだろうな。本物のヒーローだと思う。誰もが彼女のようになれるわけではない。現にほかのきょうだいたちは彼女と同じ道は歩んでいない。でも、こういう名も無いヒーローたちが多くの人の道を照らしていると思う。

最終章の圧倒的なパワー

 ガルヴィン一家のきょうだいたちは、全員ではないもの、今この瞬間も懸命に生きている。現在の一家の様子を伝える最終章では、最初に発症した長男のドナルドは70代になっている。ドナルドが誕生した頃からの一家の通史をこうして読むと、彼らが苦しみながらも日々を生きている事実に胸が熱くなってしまう。今はどうしているんだろう。合う薬の組み合わせが見つかって、少しでも穏やかに過ごせているだろうか、音楽や絵や動物など好きなものに触れてられているだろうか、などと知っている人のように健康や幸せを願ってしまう。
 すさまじい生い立ちを経験したきょうだいたちの思いが次の世代に繋がっていく最終章は感動的。
 とてもノンフィクションとは思えない、小説の読後のような余韻の残る本だった。圧倒された。

We are, in some way, a product of the people who surround us—the people we’re forced to grow up with, and the people we choose to be with later.
(我々は、ある意味で、自分を取り巻く人々の産物なのだ。一緒に育つことを強いられた人々、そして後には共にいることを選んだ人々の産物なのだ。)

Our relationships can destroy us, but they can change us, too, and restore us, and without us ever seeing it happen, they define us.
(人間関係は我々を壊すこともあるが、我々を変え回復させもする。そうとは知らず、人間関係が我々を定義しているのだ。)

We are human because the people around us make us human.
(私たちは、周囲の人々が私たちを人間にしているから人間なのだ。)

参考動画:
Between The Covers Interview with Robert Kolker - YouTube
OPRAH WITH AUTHOR ROBERT KOLKER BOOK: HIDDEN VALLEY ROAD || INSTAGRAM LIVE STREAM || APRIL 15, 2020 - YouTube

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