THE X-CHAPTERS

米国から本の話題をお届け

近未来と80年代が融合するオタク礼賛SF小説は、まるで日本へのラブレター『Ready Player One(邦題:ゲームウォーズ)』(by Ernest Cline)

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『Ready Player One』米国版表紙

I held the Beta Capsule high over my head and pressed its activation button.
僕はベータカプセルを頭上に高くかかげ、起動のスイッチを押した。


There was a blinding flash of light, and the sky turned crimson as my avatar changed, growing and morphing into a gigantic red-and-silver-skinned humanoid alien with glowing egg-shaped eyes, a strange finned head, and a glowing light embedded in the center of my chest.
目がくらむような光の洪水のあと、空は深紅に変わった。僕のアバターは、輝く卵型の目、頭に奇妙なひれ、そして胸の真ん中に埋め込まれた輝くライトを持つ、赤と銀の皮膚をした巨大な人間型エイリアンへと大きく変形していった。


For the next three minutes, I was Ultraman.
これからの3分間、僕はウルトラマンだ


(From Ready Player One by Earnest Cline)



 ちなみに主人公は、上記のウルトラマンへと変身をとげる直前の場面では、東映スパイダーマンのマーベラーズというロボットで戦っている。
 そして、ガンダム、勇者ライディーン、マジンガーZのロボットに乗っている仲間たちと力を合わせて、敵(メカゴジラ、エヴァンゲリオンとマクロスに出てくるメカたち)と死闘を繰り広げる。
 そして、マーベラーズがやられてしまい、窮地に陥った主人公は最後の切り札ベータカプセルを使って、ウルトラマンへと変身。

 もうめちゃくちゃです・・・。

 日本人でもついていくのがツラいほどのこのオタク度。

 日本のスパイダーマンなんて、古過ぎて私でも知らなかった。

youtu.be

なぜスパイダーマンに巨大ロボットが出てくるのか? 
なぜスパイダーマンなのにロボットに乗る必要があるのか? 
マーベルは本当にこれに許可を出したのか?

 困惑しか感じません・・・。

 しかし、こんなものが遠く海を越えたアメリカで、小説のクライマックスに使われるほど愛されていたとは!!

 しかも上記のめちゃくちゃシーンは、コメディではなく、主人公も敵も自分の全人生、全存在を賭けて戦っている超真剣な大事なシーン。

 なのに、日本人の私はどうして読んでいて笑ってしまう。

 何もそこまで「日本」をぶち込んでこなくても。

 逆に日本人だったら絶対あんな組み合わせであんな場面書けない。
 まるでアメリカの巻き寿司みたい。あの、巻きずしを丸ごと天ぷらにしたやつ。何も寿司と天ぷら好きだからって、その二つを合わせなくてもいいじゃないか、と思いませんか?

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巻きずし天ぷら

GruuによるPixabayからの画像

 まあ、日本人だって、スパイダーマンを巨大ロボットに乗せたりしてるからあっちから見ると、同じ違和感なんだろうけど。

 この小説全体から、そんなどこか当の日本人にすら抱けないレベルの、突き抜けたそしてちょっとズレてる日本愛を感じた。

 どれだけ日本が好きなんだ。
 どれだけウルトラマンが好きなんだ。

 こんなにストレートに日本のサブカルとかポップカルチャーへの愛を表現されても受け止めきれない。

もう10年以上前の大型デビューYA小説

 この小説の本国アメリカでの刊行は2011年。日本で翻訳版が刊行されたのは2014年。毎回文句つけてる気がしますがひどい邦題です。元のタイトルが商標登録でもされてたのかな。
 アメリカでは、見事NYタイムズベストセラーランキング第一位になり大ヒット、2018年にはスピルバーグ監督で映画化されている。

Ready Player One (English Edition)

Ready Player One (English Edition)

ゲームウォーズ(上) (SB文庫)

ゲームウォーズ(上) (SB文庫)

ゲームウォーズ(下) (SB文庫)

ゲームウォーズ(下) (SB文庫)

 作者のアーネスト・クラインは、この小説がデビュー作のアメリカの作家。IT業界で仕事するかたわら、脚本の創作を始めたそうで、映画化の際は脚本チームに入っている。詩人としての活動もしているけど、多分本業は「オタク」。

 本の位置づけとしてはYA(ヤング・アダルト)のエンタメ小説と思われる。しかし、大人も大量に読んでいる。その理由は後ほど。
 子供が読んでもまあ大丈夫な内容ではあるけれど、序盤に「小児性愛者」「レイプ」と言った言葉が出てくること(そういうものが横行している危険な地域に主人公が住んでいる)、主人公が男の子なので上品なママがまゆをひそめそうな性的な内容のおしゃべりを多少すること、言葉遣いが汚いところもあるので、やっぱ高校生くらいからかな? 英語も平易です。

 昨年、10年の時を経て昨年2020年11月に続編『Ready Player Two』が刊行され、再び大きな話題になった。またまたNYタイムズベストセラーランキング第一位。

 続編を読む前にまず前編を読んでみたんだけど・・・。

全世界を巻き込んだ壮大な宝探し

 舞台は2040年代、つまりそう遠くない未来、エネルギー危機で荒廃した地球が舞台。ディストピアものです。学校も娯楽もなんでもヴァーチャルでできるプラットフォーム「オアシス」が全世界の生活基盤になっている。
 その「オアシス」の創始者であり天才プログラマーであるジェイムズ・ハリデイが遺言で、オアシス内に宝探しを仕掛けたことを発表。勝者は、オアシスの管理者となれる・・・つまりすべてが手に入る。

 高校卒業を目前に控えた主人公ウェイドをはじめ、全世界の若者がその宝探しに人生を賭けている。金の力を結集して専門家チームで臨んでいる企業まである。
 
 現実の世界になどいいことは一つも無い。オアシスだけが自分の世界。ジェイムズ・ハリデイの宝探しに勝つことだけが希望。

 そんなウェイドがある日、数年経っても誰も見つけられなかった宝探しの突破口を見つけたのだった・・・。
 

ゲームのマニュアルのような説明箇所が辛い

 まあ、そんなストーリーなのですが、序盤の3分の1が「オアシス」の説明書状態で、新しいボードゲームを買うたびに説明書を読んでルールを理解することに苦労している私のような人間にはかなり辛い。

 序盤は、主人公は高校の授業に参加するくらいで何も起こらず、ただひたすら仮装現実の世界の仕組み、宝探しのルール、聞きなれない用語の解説が続く。私は真面目に、

「この専門用語は重要そうだ。後で勝敗を決する時に出てくるかもしれない。メモしておこう。」

などとやっていたけれど、通読後に振り返ると、まああまりそこは真面目にすべて頭に入れなくてもよかった感じもする。後半になって忘れ去られている用語やルールもあった。
 
 前半のそういう説明部分は、「まあ読んでりゃそのうちわかるかも」とさらっと読み飛ばしていい。 

日本人とオタク以外に理解できるのか

 主人公は宝探しの勝者になれるのか?

 なんと、その結果は小説の序盤数ページで明かされてしまう。
 たまに見かけるタイプの、「結果はこうだった、これからそれを振り返ろうと思う」という構成の小説です。

 だから、途中で主人公が死の恐怖を感じようが、ウルトラマンになろうが、あまり身が入らない。しかし、うまいこと主人公の周辺の人物たちに結果が分からないドラマが起こり、また仮想現実でしか存在を知らない仲間たちの正体などがミステリーになっていて、最後まで「わからない」要素でひっぱってはいる。

 読んでいると、作者が本当に書きたかったのは、宝探しの勝敗までのどうするどうなるなどではなく、「作者の愛するカルチャー」だという事がありありと伝わる。それは、作者の青春時代の80年代の映画や音楽であり、黎明期のビデオゲーム、日本のアニメ、特撮ものであり、とにかく今の自分を作ってきたそういう愛するものへのノスタルジア、「それらがあるから生きて来られた」という無条件の肯定がすさまじい。

 オタクでいるのって最高だよな!
 オタクで何が悪い?
 世界を救うのはオタクなんだよ!!

 「オタク」というほど何かにはまったことがない人でも、誰にだって、ノスタルジアを感じるエンターテインメントはある。大人の読者をひきつけているのは、作者がストレートにそういったものへの愛を小説にぶちこんだところにあるのではないかと思う。

 特に、日本に関しては、もしかして住んだことがあるのかなと思えるほど思い入れを感じる。ところどころ間違っていたり不自然なところもあるんだけど。ウルトラマンの必殺技、

I selected YATSUAKI KOHRIN from my weapon menu: Ultra-Slice

「YATSUAKI」じゃなくて、「YATSUZAKI」よ。「やつあき光輪」じゃなくて、「八つ裂き光輪(ウルトラ・スラッシュ)」ね。だからいつも言ってんのに、印刷前に私に電話して聞いてね、先に見せてねって。アメリカの出版界ももっと日本人増やせばいいのに。例えば私とか。

 主人公と共闘する主要メンバーにも日本の少年たちが選ばれていて、いつも礼儀正しくお辞儀して正座して、物語のかなり重要な役どころになっている。

 作者も、「欧米の読者にはわからないだろう」と思ったのか、日本のことを一生懸命説明していてほほえましい。素直に嬉しく読んだ。しかし、欧米読者のレビューを読むと、

 「日本のカルチャーのリファレンスのようだった。」

という感想が・・・。そりゃそうなるよね。

 私が、ジョン・ヒューズの映画のくだりを読んでもちんぷんかんぷんだったように、欧米の読者には日本のアニメだの特撮だのの部分は、さっぱりわからないでしょうね。

オーディオブックの朗読はウィル・ウィートン

 ディストピア小説ながらも軽くさらっと読めるさわやかな青春モノになっていて、オーディオブック版で聴きながすのにも向いている難易度の小説。
 朗読は、ウィル・ウィートン。これまた80年代を代表する映画『スタンド・バイ・ミー』で、やせっぽちの主人公の少年、原作のキング先生が一番投影されていると思われる少年を演じていた俳優です。
 もう少し、若者らしい声の人に読んで欲しかった気もしますが、80年代の俳優さんということで小説のコンセプトには合っているのかな。一生懸命、「HIKIKOMORI」とか「TOKUSATSU」とか「KAIJU」とか「HOKKAIDO」とか発音していて大変そうでした・・・。

現実が小説に追いついてきた

 この小説が発表されて10年の間に、本当に小説内に出てくるようなバイザーが発売され、VRのゲームも普及してきた。2020年はパンデミックのせいで、なんでもヴァーチャルだったし。

 10年前より今のほうが、読むとある意味現実味があり、楽しいながらも作者の問題提起も感じられる小説だと思う。

現実の世界なんてあんまりどうでもいいんだけど、ちゃんとした飯が食えるのはそこしかないんだよな。 — グルーチョ・マルクス

I’m not crazy about reality, but it’s still the only place to get a decent meal. —Groucho Marx


 上記は、小説のある章のはじめに引用されていたグルーチョ・マルクスの言葉。

 結局、いくらヴァーチャルの世界が発達しても、そこでご飯は食べられないしトイレも行けないし、子供も生まれない。

 ヴァーチャルの世界にはまったり、オタの対象にのめりこんだりすることは、この肉体=現実を決して離れることができない人間の切なさをどこか際立たせているようにも感じた。

 今、続編を読んでいるのでまたその感想は後日。

 映画『レディ・プレイヤー・ワン』の予告編
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