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『レディプレ』原作第二弾、相変わらずの80年代全開、日本推しは前作より控え目『Ready Player Two』(by Earnest Cline)

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極めてオリジナルであり抗いがたいノスタルジアに満ちている『Ready Player One』は、ジャンルを破壊してしまうほどの野心的で魅力的なデビュー小説だ。冒険小説あり、ラブストーリーあり、仮想スペース・オペラあり、それらが繰り広げられているのは、呪文を唱える魔術師たちが日本の巨大ロボットでバトルし、映画『ブレード・ランナー』にインスパイアされた惑星があり、デロリアンが光速で飛び交う宇宙なのだ。
―  ジャスティン・トルドー、インディペンデント紙

At once wildly original and stuffed with irresistible nostalgia, Ready Player One is a spectacularly genre-busting, ambitious, and charming debut―part quest novel, part love story, and part virtual space opera set in a universe where spell-slinging mages battle giant Japanese robots, entire planets are inspired by Blade Runner, and flying DeLoreans achieve light speed -- Justin Trudeau ― Independent


 上記は、前作『Ready Player One(邦題:ゲームウォーズ)』に寄せられたカナダの首相ジャスティン・トルドーの賛辞。トルドーさん、いいね。首相になって小説読む時間無いって愚痴ってるらしいけど。

 日本では小説のほうはいまいち知名度が低いようですが、映画化された『レディ・プレイヤー1』は『レディプレ』と呼ばれて、鑑賞しながら「今ちらっと写ったの、アレじゃない?」と「日本探し」するのが楽しい作品として映画ファンにはそこそこ楽しまれたようですね。

 前作『Ready Player One』で、作者のすさまじい日本愛に打ちのめされたことは前記事に書きましたが、間髪置かずに続編『Ready Player Two』を読みました。

 前作から10年以上の時を経て、アメリカでは昨年2020年11月に出たばかり。邦訳はまだ出ていません。

設定は最高

 前作で人類史上最大規模の宝探しを終えた主人公ウェイド君。もうスラム街に住む孤独と貧困にあえぐ肥満気味のオタクじゃない。彼女もいる。金もある。地位もある。すべてが手に入った。
 でも、幸せじゃない。
 自分の中身は何一つ変わっていないのに、ネットには一夜にして自分のHater(アンチ)が湧いている。自分も仲間も有り余る資産を使って機能不全の社会や死にかけた地球を救おうとしているのに、成果が上がっているようには見えない。
 命がけで共に戦った仲間たちは、それなりに現実の社会でもうまくやっているのに自分はどうだ。仮想現実のプラットフォームの管理者権限を手に入れたのをいいことに、自分のアンチたちにネチネチと仕返ししたり、彼女や仲間たちが自分と会っていない時間に何をしているのかネットの活動履歴をチェックしたりする日々。
 精神的な健康のために、SNSのアカウントはすべて二度と使えないようにし、『今を生きる』でロビン・ウィリアムスが演じた先生にヴァーチャル・セラピーを受けたりしている。

 なんか・・・すごい小者感・・・・・・これ・・・私か・・・?

 デビュー小説で一夜にして金も知名度も手に入れたけど、社会的には不器用なままの作者と主人公が重なる。

 そんなウェイド君はある日、前作で人類に宝探しを仕掛けた天才ジェイムズ・ハリデーが生前に人類の方向性を大きく変え得る新たなテクノロジーを実用段階まで仕上げていたことを知る。

 これはすごい! しかし、こんなものがあったら、もう人類は本格的に現実を捨てて『マトリックス』な世界に入ってしまうのではないか・・・? ウェイドと仲間たちは決断を迫られるのだった・・・。
 

日本への愛は変わらず

 と、いうような序盤から、畳みかけるように新たな冒険が始まりますが、前作同様マンガっぽくて、人類の未来とか、「人間とは?」「人間を人間たらしめているものは何なのか?」とか、そういう純文学っぽいことは実はあまり真剣に考えてない小説。

 だって作者がやりたいことは、

「俺の好きなものを観てくれ!聴いてくれ!読んでくれ!知ってくれー!!」

なんだから。

 前作では、「日本のポップカルチャーが好きなんだぁああああああ!!」と全世界に向かって絶叫しているような内容でしたが、あまりにも読者の反応を考えず愛を押し付けすぎたせいか、今回はやや控え目。

 しかし、

「日本がらみで前作で入れられなかったアレとコレとソレをしっかり入れないとな! まさか、みんな俺がそういうの知らないと思ってないよな?」

という作者の鼻息のあらさは相変わらず感じられ、ほほえましいです。
 セーラームーンだのジブリだの、ハヤオ・ミヤザキだの、ストーリーの本筋に関係無いのに一生懸命ぶちこんでます。日本の少子化問題にまで言及があり、前作で大活躍だった日本人少年はもちろん今作でも登場。

 そして、主人公たちの冒険はゲームっぽくいくつかのステージがあるわけだけど、そのステージのまるごと一つがセガのゲームキャラクターのデザイナーである小玉理恵子さんに捧げられている感じ。「リエコ・コダマ」連発です。

 私はゲームセンターで遊んだりとかしたこと全然無いので知識ゼロなんですが、セガの『忍者プリンセス』って有名なんですか? 作中では、そのゲームが重要な登場人物の大切な思い出のゲームであり、そのキャラクターをデザインした小玉理恵子さんは絵やデザインが得意な女性登場人物の憧れの人ということになっている。

 小玉理恵子さん、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の美術も手掛けた方なんですね。ソニック、こっちでも人気だし知名度高いです。去年、映画にもなったし。

 失礼ながら小玉理恵子さんのことはこの小説で初めて知りました。こんなすごい女性がいらっしゃったとは。まさにパイオニア。「もっとリエコ・コダマはリスペクトされるべきだ」という作者の思いが伝わり、激しくうなづいております。

 しかし、Japan! Japan! Japaaaaaan!!! なのはここまで。

最初と最後だけ読めばいい小説になっている

 残りの冒険・謎ときはすべてアメリカの80年代のカルチャーからになっている。映画『レインマン』とか、ジョン・ヒューズの映画、あとプリンスも。

 まあ、はっきり言って、知らない人にはちんぷんかんぷんです・・・。

 残念なことに、この「ちんぷんかんぷん」を通して、主人公が成長して行ったり、なんらかのドラマが進行して行ったりといった展開があまり無い。なんだかエキサイティングなできごとだけが積み重なって行くけれど、それを通して主人公がいまいち幸福感を感じられない現状を打破する何かを見つけたり学んだりはしない。
 考え方の決定的な違いからうまくいかなくなっていた彼女もあっさり戻って来てやさしくしてくれる。主人公は何も変わっていないのに。さすが男の子向け小説。まあ、女の子向けYA小説もかなり女子に都合のいい展開ですが。

 例えて言うなら、「このオタク度測定クイズ100問で正解が90問切ったら崖から突き落とす」と言われて、崖のはしっこに立たされている人の実況中継をずっと読んでいる感じ。それをクリアしても「よかったね」という感想しか浮かばないと言うか・・・。

 ぶっちゃけ、途中の「ちんぷんかんぷん」を読み飛ばして、最後だけ読んでも意味の通じる小説になってしまっている感じがした。ちょっと残念。これは前作でも多くの人に指摘されていたこの小説の欠点なんだけど、前作では少なくてもその欠点を補ってあまりある、ある種の「楽しさ」や「なつかしさ」があったように思う。二作目はなにかそのマジックが消えていた。

 少数人種や性的少数者の登場も作者のやさしさは伝わるものの、なんかいまいちうまく行っていない。マンガっぽい世界で浮いているというか、読む人によっては「政治を持ち込むな」という、何か中途半端にシリアスなものが間違って入ってしまっているような感じを受けてしまう。今、白熱しているトピックですからね。

デジタルネイティブには書けない小説

 とはいえ、これは1972年生まれ、人生の途中からしかインターネットが無かった、つまり「デジタルネイティブ」ではない年代の人にだけ書ける小説として貴重かも? 小説の導入部分で、あるすごく生々しい主人公の言葉があったんです。図書館に返しちゃったので引用できないんだけど。

「人間なんて少し前まで猿だったんだ。少数の群れで暮らしていた猿が進化したに過ぎない。一人が何千人もと繋がるようになんてできてないんだ。SNSって、核爆弾なんか使わなくても、お互いを憎みあって人類が自ら自分たちを一掃するように作られたんじゃないか? いや、SNSじゃなくてネットができた時点で、もうその道を歩んでいるのかもしれない。」

 こんな感じだったと思います。
 
 作者のアーネスト・クラインは、SNSのアカウントを全部休止している。今作発表の宣伝でテレビに出た映像も、すごくやりづらそうで不器用な印象を受けた。きっと有名になっていろんなことがあったろうし、有名になる前も、ものすごい勢いで進化するテクノロジーにとまどいや疑問を感じずについて行けるタイプの人ではなかったのではないかと小説から感じました。

 誰とも繋がらなくとも好きな本や映画や音楽があって幸せだったな。

 そんな、過ぎた時間に自分の一部を置いてきてしまって、どうしても「今」になじめない作者の年代特有の感覚が小説にあったように思います。

 これって、多分、デジタルネイティブには無い感覚だと思う。だって、私だって「電気の無い時代のろうそくの美しさが懐かしいな」と思えない。ろうそくを懐かしく表現できない。懐かしくないんだもの。電気の無い世界を知らないし。デジタルネイティブたちも同じで、経験したことの無い「ネットが無い社会」を懐かしく思えないはず。

 そう考えると、「ネット前の世界」を体感し、それを懐かしく思い出せる感覚を娯楽大作に閉じ込めた今作は貴重かもしれない。

 たった数年前のテクノロジーがもう古くなって、「なんであんなのをありがたがって使っていたんだろう」と思ってしまう昨今。ある程度の時間生きて、テクノロジーの進化を幾度も経験すると、誰にもどこかに刻み込んで残しておきたい今はもう無い世界ができてくる。

 テクノロジーの進化を否定しているわけじゃない、でも忘れたくないものってあるよね? そんな作者の気持ち、ものすごくよくわかるなあ。

 いや、いまいちわかんないけど・・・、というあなた。あともうちょっと長く生きてれば残念ながらわかるようになると思いますよ!!

参考動画:
作者がトレヴァー・ノアの番組に出た時の映像。本棚にはウルトラマンのフィギュアが。うちのがきんちょと話が合いそう。
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